非エリート選手でもスポーツアナリストになれる方法|スポーツアナリストの自己紹介#02

スポーツアナリスト

非エリートとして

小学校6年から中学生時代は、リトルシニアで野球に打ち込んでいました。
他方当時では珍しいラグビースクールに通っていた友人や野球の先輩でラグビー好きな方が数名いて、時々パスやキックをして遊んでおりました。
「ラグビー難しそうやけど、何か楽しそうやな」という感想を持っておりました。
しかしすぐにラグビーをすることはありませんでした。

高校時の僕

高校時の僕は、たいしたことがない時代であったので…単にプラプラして怠惰な生活でした。
中学時に誘われた高校もありましたが、そこには進みませんでした。
「もしその高校に進んでいたら!」という後悔は全然ありません。

他方、自宅近所の公立高校が当時全国レベルの強豪がありました。
両親は「そこに進学してラグビーしたら?」と進められました。

これは人生で唯一後悔した事象でした…なぜなら後で分かったことですが、近所の強豪公立高校のメンバーのほとんどが、高校入学からラグビーをスタートしたと…体力とガッツだけは自信があったので…高校選びは間違ったなと…理由は自分でもわかりませんが、高校時代は人生で一番暗黒な時となりました。

大学に進んでもええよ

高校を出たら就職しようとしていましたが、「大学に進んでもええよ」と両親から進言され、クラス40名で最下位でしたが、アホなりに勉強しました。
担任から提示された大学にはまったく興味を示さず、いわゆる名門大学ばかり受験しました。
すべて不合格でした。

ホワイト・シャークの衝撃

受験勉強中にTVで偶々見た『5カ国対抗ラグビー』─スコットランド代表のジョン・ジェフリーのプレイに釘付けとなりました。
ホワイト・シャークの異名を取るアスリートを見て、衝撃を受けました。
同時に「これや!」となり、一浪後何とか大学に合格しました。

ほとんど素人で一浪というグダグダの状態で、体育会ラグビー部に入りました。
結果は、試合に出たり出なかったりの4年間でした。

監督や先輩は厳しいかったものの、素人同然の僕を受け入れてくれて、みっちり基礎技術から徹底的に教えてくださりました。
僕は覚えが悪かったので、あまり上達しませんでした。

それでも一気にラグビーが好きになり、ずっと関わりたいと。今ある僕の人格形成に大きく影響したことは明らかです。

ただし大学時でもトレーニングが嫌いで、またスポーツアナリストやコーチングやパフォーマンス分析など、全く興味なく、これらの言葉すら出てきませんでした。

一方相変わらず専門書籍は買って読みあさっておりました。『シンク・ラグビー』『トータル・ラグビー』などJim Greenwood(ジム・グリーンウッド)さんが著した訳書や大西鐵之祐さんの著書ですね。

生涯ラグビーの原点

就職は普通に一般入社いたしました。
入社した会社がラグビー部強化に取り組んでいました。
「やりたいな」という気持ちはありました。

しかし、メンバーを見るとオールブラックスを筆頭にNZUや豪州代表候補、Japanとその候補、関東代表などTV越しで見ていた選手ばかりでした。
「これはアカンやろ…」と自分から「入部します」とはできませんでした。
内定後一度だけ人事部から「河原君、ラグビーやっていたのだね?」と自宅に連絡がありました。

ラグビーが好きならOKだ。

入社前の1月に当時の監督であった石塚武生さん(1952年5月18日 – 2009年8月6日:久我山→早大→リコー→リッチモンド→伊勢丹監督→早大監督→JRFU→常総学院監督 JPNのCAP28)から自宅に連絡。
「河原君一緒にラグビーやりましょう」と…「いやー僕なんぞ話になりません…1年留年してまったくやっていませんから」と返答したら、「そんなの関係ないよ!ラグビーが好きならOKだ。入部よろしく!」と。
本当に嬉しく舞い上がりました。

無謀にも社会人ラグビーの世界に

他方現実を見ると「絶対厳しい」と。
大学ラグビー部の恩師に相談したところ「やれ!当たり前や!やれよ!また新しい友達ができるから!やれよ!」と背中を押していただき、無謀にも社会人ラグビーの世界に進むこととなりました。
ここでラグビーを続けたことで、今の僕のラグビーとの関わりが続いていると断言できます。
もし断っていたら、今のスポーツアナリストになっていることはないです。
もちろんラグビーとの縁も切れていたと…12年前に旅立たれた石塚さんには、感謝の言葉しか見つかりません。
大学の卒業式翌日に「千葉で合宿するから参加して!」と上京。
社会人ラグビー生活が始まりました。

石塚武生さんとKeith Daviesさん

戦力外通告

残念ながら2シーズンで戦力外通告を受け、社会人ラグビー選手としては短命に終わりました。
一方で世界レベルの選手達との縁が深まったことは、現在も僕の無形の財産です。
当時の経験のおかげで、福岡に移ってからラグビー界でリ・スタート出来、トップリーグのスカウト・編成、大学のスカウティング、社会人クラブコーチ、高校コーチ、アナリストなど経験できたのです。
そのきっかけとなったのが、現在当社のアドバイザーのKeith Daviesさんでした。

Keith Daviesさんとコーチング

Keithさんは、我々所属チームにプロラグビーコーチとして着任しました。
試合&練習では常にハードワークを追求し、一瞬でも歩くと猛烈な厳しい言葉を浴びせられました。
一方で必ず活動前後には「今日もありがとう!次も今日以上のパフォーマンスをやろう。君らは絶対にできる」と熱く語ってくださりました。
そしてきめ細かなコーチングとスキルの伝授。
僕のような三文選手に対しても分け隔てなく、たくさんのことを教えてくださりました。

質問に対しても同様でした。
フィールドだけでなく、座学も頻繁に開催されました。
Keithさんは座学で、戦術・戦法やルールについてQ&A方式はじめグループミーティングなどを用いて、レクチャーされました。
この経験は僕にとってターニングポイントでした。
「選手は三文であっても、コーチやスタッフで輝くことができる」と気づきました。

スポーツアナリストの原点を経験

約30年前はIT機器などなく、VTRデッキと大型TVモニターを駆使する。
ホワイトボードに図と言語で表現するなど、振り返るとKeithさんの戦術&パフォーマンス分析─スポーツアナリストの原点を経験できました。
ハードワークと緻密なミーティングとコミュニケーションによって、前シーズンリーグ最下位、リーグ入替戦1点差薄氷勝利で残留から全国社会人大会初出場に進化しました。
スポーツアナリスト×ハードワークすることで、無限の可能性を引き出し、また新たに創り出せる体験ができました。
鮮明な記憶として焼き付いております。

非エリート選手がスポーツアナリストに

社会人ラグビー選手としてクビになり、しばらく社業に専念した後、30歳時に福岡へ転居しました。
そこで新たなラグビー仲間との出会いがあり、強豪クラブに入団して、再び選手として活動しました。
同時にコーチの勉強も始めて、3年後に日本ラグビーフットボール協会のコーチライセンス(A級)を取得することができました。
35歳時にクビのケガによって「タックルが怖くなり」選手としてのキャリアを終えました。

すぐに同クラブのコーチに就任しました。

コーチに就任後の苦労


当時九州の社会人リーグBに属しておりました(サニックスやコカコーラ、九州電力のひとつ下のカテゴリーのリーグでした)Aリーグ昇格を目標に掲げて猛烈なハードワークを課しましたが、成就できませんでした。
まだ経験浅く若いコーチであったので、勢いだけでやっておりました。

他方でKeithさんから学んだ方法で映像を何度も見返してプレイを数値化し、トレーニングや戦術に落とし込む─選手へのプレゼンも数値と定量を言語化して実践しました。
スポーツアナリストを意識していたことはありませんが、実績の乏しい僕がコーチとしてできることは、丁寧にチームと選手を分析した上でどのように実戦へ活かすかでした。
この頃から大変高価でしたが、戦術&パフォーマンス分析・解析のソフトウェアが出現しておりました。
僕は高くて手も出ませんでした…

その後『ジャパンラグビートップリーグ』のチームでのスカウト・編成担当、大学のスカウティング担当、県内高校ラグビーアナリストの役目を仰せつかりました。
コーチとして独自の方法で試行錯誤して、挑戦したことが活かされながら、都度研究しながら現在に至ります。

選手からマネジメント側へ

自身が選手からマネジメント側に変わってからは、プレイを数値化=定量化する、客観視する、感度の高い情報を収集するスタイルを取りました。
なぜなら選手としての実績がない非エリート─逆張りすると一流でなかったことが幸いして、自然にスポーツアナリストとしての手法を取り入れていたとも言えます。

選手としてのキャリアと指導力の関係

スポーツ界において選手としての高いキャリアは、コーチなど指導する場合は大きな武器となります。
高いスキルおよび経験値は何よりも説得力が強固です。

2軍で終わった選手と日本代表経験選手がコーチするのでは、どちらが選手への説得力が高いのか?もう言わずともわかることです。

では非エリート・2軍でキャリアを終えた選手がコーチなど指導的な立場になっても、だめなのか?
違いますね…その類のキャリアで名指導者になった方々は、国内スポーツだけでも多数存在します。
中には競技歴なしで監督になった事例もあります。

競技歴なしの指導者

現在のサッカー界では、選手としてプレイせずに監督を目指す次世代人材が増加中です。
サッカーの本質や戦略、戦術、作戦を深い専門性で徹底的に学びます。
学んだことを実戦に活かすための、トレーニング理論を確立させます。
キックやパス、ドリブルなどテクニカルやスキルについては、経験豊富なコーチを招へいします。
深い専門性とは、プレイや戦術の分析・解析=スポーツアナリストの素養も磨かれるのです。

野球界でも選手未経験者が、分析や作戦立案するスタッフが出てきていると聞きます。
近い将来、国内スポーツ界ではスポーツアナリストの存在が、ごく自然なことになっていく機運があります。

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